カーテンを開け、オレンジジュースをコップに注ぎベランダに出る
裸足で出たのでコンクリートのひんやりとした感触を足裏に感じる
「はぁ…良い天気だなぁ…」
グラスを片手にベランダの柵にもたれかかり、ぼんやりと外を眺めていると、の頭に何かが飛んできた
「ん…」
指先でそれを摘み確認すると、淡い桃色の花びら
「ああ…もうそんな時期か……」
「何が、『もうそんな時期』なんだい…」
「あ、恭弥。おはよ」
寝ぼけ眼を擦りながら、相も変わらず黒のパジャマに身を包んだ雲雀がベランダに出てきた
「ほら、これ。飛んできたの」
「…桜の花びら……」
「もう四月だもんねぇ。お花見の時期だよね。いいねーお花見」
「…それは、暗に逃げたいって言ってるの」
雲雀の目がすっと細められる。
その視線を受けたは、オレンジジュースを一口飲んでからかすかに微笑んだ。
「いーえ。私は契約がありますから、恭弥が望む限りずっとお傍にいますともさ。嫌なら荷物まとめて出て行きますけど…どうする?」
「……そういう選択肢を投げかけてくる奴は、嫌いだ」
のグラスを取り上げ、オレンジジュースをぐっと煽る
「アナタに選択の自由を与えてるのに、我侭だなぁ」
不満そうな声を上げるが、その顔は楽しそうに笑っている。
不愉快だが心地良い感じ。
矛盾した感情が入り交ざるこの感覚が、雲雀はどうも苦手だった。
だけど、手放すのには惜しいような、そんな感覚。
この奇妙な関係が始まり、一月が過ぎた。
雲雀が散歩に出かけたに怒り壁を破壊してから、は一歩も外に出ていない。
それは彼を怒らせたくないという感情よりは、もっと傍にいたいという感覚。
恋愛感情等ではない。同情が沸いたわけでもない。
それは雲雀恭弥に対するのただ純粋な“興味”からだ。
「恭弥は花見、しないの?」
「……興味無い」
「へぇ、それはまた」
きっぱりと言い切った雲雀に、が楽しそうに笑う。
その笑いの原因が分からない雲雀にとっては、少々不快であり、苛立ちを覚えた。
「一度桜の下でぼんやりと過ごすのも悪くないよ。無駄に年食った奴が言うんだ、参考にしてみるのも悪くないよ」
「……………」
「ううっ、なんか寒くなってきたわ。入ろっか。まだまだ冷えるねぇ……」
腕を擦りながらは室内に入っていった。
雲雀はそれからも暫く桜を眺め、グラス片手に部屋の中へと戻った。
それから真っ直ぐ自室へ戻り、出て来た時には学ランに着替えていた。
「出掛けてくる」
「……はぁ、いってらっしゃい」
「言っておくけど、外に出たら「はいはい。恭弥様の仰せのままに」
わざとらしく立てひざをつき笑って見せると、雲雀は少し不快な表情をしながらに背を向け玄関に向かっていった。
「…休日もお勤めかね。最近の中学生は忙しいんだなぁ……」
猫の子みたいに冷たいフローリングへ寝転がりながら、ぼんやりと天井を見上げ呟いた。
『俺は絶対にお前を手放したりしない。逃がさない。忘れたりなんかさせない』
『なぁ…俺、どうかしてるよ』
『時々、お前を無性に殺したくなるんだ』
「ん……」
ぼんやりと目を開けると、辺りが薄暗い
「…懐かしいなぁ」
あの夢を見た後は、肺に空気がうまく入っていかないような感じがして、嫌いだ。
もう、忘れていたつもりだったのに
額に手を当てると、じっとりと脂汗をかいているのに気づいた。
「…なんだろうなー、もー…」
何処かに飛んでいきそうな意識を手繰り寄せるように声に出して笑い声を出すと、喉が貼りつくような感じがあった。
そうだ。あんな夢を見るのは喉が渇いているからだ。決して記憶の片隅に残っていたとか、そういうのではない。
自分で自分に言い聞かせるように頭を振ってから、オレンジジュースでも飲もうと起き上がると同時だった。
がたんっ
「………?」
何かが落ちたような、倒れたような、そんな音だった。
音がしたのは、玄関。
「……恭弥…帰ってきたの?」
玄関に顔を覗かせると、そこに雲雀はいた。
ただ朝と違っていたのは、その場に倒れ込んでいた事。
「恭弥!?」
が慌てて駆け寄ると、雲雀はいつもと違いぼんやりとした表情をしていた。
「恭弥、何があったの?」
「桜…急に目眩がした…」
桜、目眩
やっと聞き取れた単語からは必死に状況を理解しようとする。
「…桜クラ病……恭弥、シャマル…保健の先生に会った?」
返事は無かったが、雲雀の目の奥が揺らいだ事でそれが事実であると確信した。
「そっか…こんなとこいたら風邪ひくよ」
慣れた様子で雲雀の腕を肩に乗せ、体重を掛けさせるような体勢で部屋の中へと戻った。
ベッドに身体を下ろし、上から毛布を掛ける。
「んしょ…恭弥、喉乾かない?水飲む?それともコーヒー?」
がそう問うと、雲雀は小さく首を振った。
「そっか。じゃあ、何か作っておくから、お腹が空いたら食べ……」
は立ち上がろうとしてそのままフローリングにぺたりと座り込んだ
雲雀がの服の裾を掴んだからだ。
「……どした?」
「………………」
体が動かせない訳ではない。
ただ、服を掴む指先だけが自分の意思にそぐわないだけだ。
声が出せない訳ではない。
ただ、言葉に出来るほどのプライドを持ち合わせていないだけだ。
恋愛感情を抱いた訳ではない。
ただ、あまりにも視界がぐらついて、脳が揺さぶられておかしな感覚になっているだけだ。
「それがアナタの意思なら……枯れて私の水分が無くなるまで、その手は離しちゃいけないよ」
いつもとは違う自分の態度を、見透かすように。
いつもとは違う、少ししゃがれた声で。
その声に不思議な心地良さを感じながら、意識は奥底へと沈んでいった。