朝日が差し込んでくると、自然と目が覚めた。
いつもならそのまま目を閉じて二度寝をしたくなるものだが、今はそんな気になれなかった。
雲雀はぼんやりとした目を擦り意識を覚醒させると、そこには誰もいなかった。
「それがアナタの意思なら……枯れて私の水分が無くなるまで、その手は離しちゃいけないよ」
身体を起こすと、昨日までのふらつく感じは無かった。
あれは、なんだったのだろうか。
考えても心当たりが無い。
ああそう言えば結局花見が出来なかった。あの弱い草食動物たちのせいだ、と思考があちこちへ飛んでいく。
「……あ、目覚めた?」
部屋に入ってきたのは、同居人。
手にしたトレイには雑炊が入った器と水の入ったグラスが載っていた。
「はい、雑炊。他にも色々作って冷蔵庫に入れてあるからお腹空いてるならもっと持ってくるよ」
ベッドのサイドボードに置くと、机からパイプ椅子を持ってきて雲雀の横へ座った。
「打撲があったから湿布貼って軽く固定しておいた。関節周囲に重度の打撲は見当たらなかったからすぐに直るとは思うけど、腫れるようだったら医者に見せたほうがいいかも」
が指を差した先に視線を送ると、左腕が湿布を貼った上から包帯で固定されていた。
湿布や包帯がこの家にあったのか、と家主らしからぬことを思いながらも雲雀の目線はへ移っていった。
「ん、どした?もしかしてまだ怪我してるとこあった?」
おかしいなー、と暢気な声を上げながら首をかしげる。
ある筈が無い。
学生服で帰ってきた筈の自分が着替えた記憶の無いパジャマに着替えているのだから。
それからまた、目線は包帯の巻かれた左腕に移動する。
綺麗に無駄なく巻かれた包帯。軽く圧迫される感じはあるが湿布がひりつくだけで痛みは無い。
明らかに手慣れている。
「…君は、医師免許でも持ってるの」
「え?いやまさか。でもまあ、職業柄ね」
言葉を濁すような言い方に雲雀は苛つきを覚える。
いや、苛つきというよりは、焦燥感。
彼女は自分の全てを知っているというのに、自分は彼女の事を何も知らない。
他人の事を知らない事がこんなにも不愉快だったことが未だかつてあっただろうか。
「まあ、暫くは外に出ないほうがいいよ。満開は昨日だったから、あとは散っていくだけだし」
僅かに開いて朝日が差し込んでいたカーテンをきっちりと閉める。
桜が視界に入らないようにという配慮だったのだが、雲雀にはそれすら不可解な行動に思えた。
唯一差し込んできた光も遮られた為、部屋は朝なのに薄暗い
「着替える?パジャマ洗濯してあるから新しいのある……」
昨日と同じように、服の裾を掴む。
すると、数秒の間が空きいつもの落ち着いた声で笑う。
「……まったく、アナタは我が侭だねぇ。自分勝手に掴まえておいて繋ぎ止める気は無いんだから」
「君は僕の物。どうしようと僕の自由」
「はいはい。契約ですからね」
子供をあやす様な口調でそう言い放ち椅子に座りなおす。
契約
この数ヶ月で当たり前のように聞いていたこの言葉がこれ程までに腹立たしかったことが今まであっただろうか
「僕の物なんだから、僕の言う事は何でも聞くんだよね」
「…何いきなり。そりゃまあ、何でも聞きますけど」
「……君の事を教えて欲しい」
の目が大きく見開かれ、その目がぱちりと瞬きをする。
「何か文句でもあるの」
「いや、文句と言うか…私に興味を持つなんて思ってなかったから」
それは、雲雀が人間というよりもある種動物的な印象を受けるからかもしれない。
しかし、雲雀の意識も視線も今はに向けられている。
「勘違いしないでよ。僕はフェアじゃないのが嫌いなだけなんだ」
「フェアじゃない?」
「君は僕の事を知っているのに、僕は君の事を知らない」
「……私も雲雀の事はあまり知らないと思うんだけどねぇ。じゃあ、私に教えてよ、雲雀の事」
「…何を教えたらいいのか分からない」
それは雲雀の本心から出た言葉だった。
が何を知りたいのかも分からないし、他人に自分の事を知ってもらおうと考えたことが無かったからだ。
「じゃあこうしよう。お互い順番に一つずつ質問していくの、それで、質問には必ず答えを出す」
「………」
「でも恭弥には逃げ道をあげる。黙秘権と虚言の行使を許可する」
つまり、雲雀の質問には正直に答える。
の質問に雲雀は答えてもいいが答えなくてもいい。嘘をついてもいい。
こんな一方的に相手に有利な取引を持ちかけてくる本心が、雲雀には分からなかった。
「……分かった、それでいい」
「さ、質問どうぞ。何が知りたいの?一つだけ答えてあげる」
「……君の出身はどこ」
「お、なかなか良い質問。私が日本生まれじゃない事気づいてた?」
「…日本語の発音や文法が時々おかしいし、銃の不法所持は日本じゃなかなかできない」
「鋭い観察眼だねぇ……私の出身はイタリアで、ちなみに国籍もイタリア。でも両親共に日本人だよ」
雲雀の視線を受け止め、は楽しそうに笑う。
「何故銃の不法所持を「おっと、次は私の質問ね。雲雀の両親は何をしている人?」
発言を遮り、が質問を雲雀に投げかけた。
「……知らない。ただ、こんな広いマンションに子供を一人で住まわせて毎月高い仕送りをしているから…相当の高額所得者ではあると思う」
「へぇ。ちゃんと質問に答えてくれるんだ」
「…嘘かもしれないよ」
「いんや、今のはほんとの事」
断定するようなその言葉に、見透かされているような感覚を覚えた。
「次の質問どうぞ?」
「…何故、銃の不法所持をしているの」
「それを聞くって事は、やばい事に顔突っ込むって事だけどいい?」
「今更」
「そ。じゃあ言うけど私、イタリアンマフィアなの」
あっさりと言い放つにはあまりにも現実離れした言葉
非日常に慣れている雲雀でさえ、噛み砕くには時間を要した。
「…だから、怪我の手当ても手馴れてたのか…」
「うん、だから職業柄って言うのは間違ってないでしょ。じゃあ私の質問。雲雀はどうして私を拾ったの?」
「…ただの気まぐれだよ」
「今のは嘘だ」
「嘘を吐いてもいいんでしょ」
「うん、嘘を吐くって事は答えたくないって事。答えたくない質問を無理に聞き出す気は無いよ」
外は夕暮れ。部屋の中も暗くなってきた。
カーテンから染み出る外の光で見えていたお互いの顔も、今はぼんやりとしか見えない。
が電気を点けようと立ち上がると、雲雀が腕を掴んだ。
そのまま腕を引き、椅子に座らせる。
「まだ質問は終わってないよ」
「……でも、暗くなって」
「いい。このままで」
雲雀がそう言い切ると、は何も言わずに椅子に座り直した。
「……じゃあ、質問どうぞ」
「………ほんとは、君が飛び降りた理由を聞こうと思ったんだけど止めた」
「どうして?」
「今もっと聞きたいことが出来た」
部屋は真っ暗になり、ぼんやりとしか相手の表情が見えない。
は相手の感情を表情と声で判別するので、表情が見えない事に少々不安になる。
「いいよ。なんでも答えてあげる」
「いや…これは、答えたくなかったら何も言わなくていい」
「……………」
辺りは静寂に包まれ、ぴりっと張り詰めた空気が流れた
それは、今まで子供だと思っていた雲雀を、が脅威だと感じたからだ
「……今腕を掴んだ時、一瞬拒絶しかけたのは何故?」
その声はいやに低くよく通り、の感情を揺さぶった。
「はは…まいったね。ほんと鋭い観察眼してるよ、恭弥」
「…世辞はどうでもいい。答えるか答えたくないのか、どっち」
「……答えないってのは私のしょーもないプライドが良しとしないから答えさせてもらうよ」
ギシ、と椅子が軋む音。
そのあと、ふわりと風が雲雀の頬を掠めた。
「……過去のトラウマ」
耳元で聞いた声は、あの時聞いた掠れ声を思い出させるような、低い声