「何がそんなに不機嫌なの」


の言葉が自分に向けられていた事に千歳が気づくまでには、少しの間があった。


「………何言いよっとね」
「眉間に皺寄ってる」

自分の眉間を指差し、不満そうに唇を尖らせる。
その仕草に千歳は同じように自分の眉間に手を当てた。
それから「ああ、」と声を上げる。


「あそこば見とったと」

千歳が指を差した先には、四天宝寺華月の入り口があった。
いつものように入り口に人が集まり、開場を待ちわびている。

「俺目悪いけん、遠くのもん見ると無意識に眉間に皺寄るとね」
「そんなに悪いの」
「0.8」
「………そりゃあ、眉間に皺も寄るわ」

は呆れたような表情でフェンスに寄りかかる。

風が吹くと、二人の髪を揺らしたが、千歳は目に掛かる髪を気にしようともしない。


「その右目はどうにもならないの」
「右目?」
「手術とかで治るものじゃないの?片目見えないと日常生活も不便でしょう」
「……完全に見えん訳じゃなかよ。ただぼんやりと見えるだけで」
「誤魔化さないで」
「別に、誤魔化すつもりはなかばい」

の隣に、屈んで同じようにフェンスに寄りかかる。
千歳の大柄な身体を支える頼りないフェンスは、か細く悲鳴を上げた。

お互いに表情の見えない立ち位置が、にとっては不快だった。


「……テニスも続けるかわからんし、これだけ見えとれば大丈夫たい。それに」
「それに?」




「見えん方がいいもんも、いっぱいあるとよ」





「……何それ」
「そのまんまの意味ばい」

顔を上げに屈託の無い笑みを向けると、今度はの眉間に皺が寄る番だった。


その目が橘によって傷付けられたものだという事を、は知っていた。

そして、その目を治療しようとも矯正しようともしない千歳が、未だに橘との唯一の繋がりを手放さずにいるように見えた。
自分の知らない物を、大切にしているというその事実がにとっては不愉快であった。


「……その目がそこまで大切なら、どこかにしまっておけばいいじゃない」


ああ、大切にしておけといったばかりなのに、如何してそうやって見せ付けるの。
そんなに大きく目を見開いたら、欲しくなってしまうじゃない。

その狭められた視界も、大きく無骨な掌も、全て、全て


「あんたは本当によくわからない男ね」
「……そうでもなかよ」

古びたフェンスの音と下駄の音が耳に届くと、の身体はフェンスを掴んだ千歳の手に捕らえられていた。



「大切なもんは全て目の届く所に置いておきたい。それだけたい」




自身に投げかけられたその言葉が持つ意味をが理解するには、僅かに時間を要した。












やわらかな束縛
(恋を恋たらしめるものが何なのか、もう少し成長したら分かるのかしら)