彼女はいつもどおり、日課の日光浴をしていだだけだ。
そこに、たまたま私が通りかかっただけの事。

彼女にとってはなんてことない、ただの日常。
しかし私にとってはそれが全ての始まりだった。



放課後、縁側に腰掛ける人影を見つけた。
辺りに他の人影は無く、悪戯を常とする私はその人影に近づいた。


「こんな所で何をしているんですか」
「えーと……鉢屋君の方だよね?」
「……はい、そうです」

言わずもがな、私はいつも通りの同級生の顔だ。
いともたやすくその変装を見破られた事に、少なからず不満を感じた。

「特に何をしていたって言うわけでもないんだ。ただ、日向ぼっこしてただけ」
「…隣、いいですか?」
「うん、どうぞ」

自分の隣を叩く先輩に一礼すると、彼女の隣に腰掛けた。
明確な理由は無い。ただの気まぐれだったと思う。

「へぇ……ちょっと失礼」

いきなり手が伸び、華奢な指先や掌が私の顔を触り始めた。

「……何ですか、いきなり」
「ん?鉢屋君の本当の顔はどうなってるのかなーと思って」
「触っただけで分かるはずないでしょう」
「分かるよ」

やけに確信めいた口ぶりで、指先は何かを探るように動く。


そして、感覚を更に研ぎ澄ませるためか目が閉じられる。
迂闊にも、目を縁取る睫毛の長さや風に揺れる柔らかな髪に目を奪われるが、彼女の声で現実に引き戻される。

「骨格は案外すっきりしてるね…目は切れ長、鼻筋は通ってて……あ、唇は薄い」

次々と他の誰も知りえない私自身の顔が明かされていき、私は思わず頬に伸びていた彼女の手を払った。
ぱちり、と雷蔵や兵助に負けず劣らず大きな眼が見開かれた後、すっと細められ、口角が緩やかに上がった。


「……何ですか」
「なんでもないよ?顔隠してるのもったいないなーと思っただけ」
「私はこの顔が一番綺麗だと思っています」
「あの子は根底が綺麗だと思うんだけどね」
「知ったような口を利かないで下さい」

眉間に皺を寄せ睨みつけるが、彼女はなんてことないと言わんばかりに笑う。
それすら私にとっては不愉快で、私はますます眉間の皺を深く刻む。


「君は死ぬまでその顔でいるの?」
「貴方には関係のない事です」

もうこの場から消えてくれ。

私の頭の中はそれだけで埋め尽くされていた。
自分から立ち去ると言う選択肢すら忘れるほどに。


「でもね鉢屋君、自分の感情まで隠しちゃいけないよ……まあ、その方が仕事には便利なのかもしれないけど」

それでも彼女は、飄々とした様子のまま横目で私を見た。


「忍から心を取ったらただの刃でしかない。だから、一人の人間である事を忘れちゃいけないよ」
「……それは、経験談ですか」
「いんや、ただの受け売り」

へらっと間の抜けた笑い方をしてから、何かを考えるように空を見上げた。



「なら、貴方は……」
「ん?」
「……いえ、何でもないです」


誰に対しても常に人としての心を持って接しているのか。
何故か聞くのを躊躇い、口を噤んだ。

そんな私の内心を知ってか知らずか、普段どおりの柔らかな表情になったかと思うと先輩はその場から立ち上がる。



「まあ、忍として生きる為の準備期間なんだろうね、その顔は。時間を与えてくれた不破君に感謝しなよ」





時間を与えてくれたのが雷蔵なら、きっかけを与えてくれたのは紛れも無く先輩だった。
抱いたのは僅かな尊敬の念だけだと思っていた。だけど違った。



それに気づいたのは、長屋の中庭で中在家先輩と楽しげに話す先輩を見た時だった。
私が先輩と出会ったように、貴方も中在家先輩に出会ってしまった。


中在家先輩と話す先輩は、温かな心を宿した一人の人間たるものだった。
そして、それ見るしか出来ない私は。




こんな心ですら、貴方は必要だと言うのですか。
不完全に与えられたままの私は、どうしたらいい?




同級生がその光景を見ていた事も知らず、その場に居られなくなった私は彼女に背を向けた。