初めは、風で小さく木々が揺れる程度のさほど大きくも無い存在だった。
白石にとっては『部活仲間の妹』という、忍足謙也という媒体を介してしかその存在を確立してなかった。


同じ中学の後輩ではあったものの、生徒数の多い四天宝寺中学ではその認識が無いのもおかしな事ではない。
だからその姿を目で追うようになったのも、謙也の妹だからだと思っていた。
いや、最初はそうであった。






「あ、白石さん。いらっしゃい」

部活休みで久しぶりにクラスメイトである謙也の家に遊びに行くと、白石が予想していたよりも大分小さく華奢な身体が彼を出迎えた。

「謙也君今飲み物買いに行っちゃってるんで、上がって待ってて下さい」

玄関で待つという選択肢を敢えて選ぶという事はせず、白石は彼女の勧めるまま家の中に入るとリビングに通された。


「今、家にはちゃんしか居らんの?」
「はい、そうです。多分すぐ帰ってくるんで、ケーキでも食べて待ってて下さい」

冷蔵庫から更に取り分けられたショートケーキを白石の前に出すと、ティーポットにお湯を注ぎ温め始めた。

「すいません、謙也君ほんまイラチで待ってられんかったみたいです」
「ええねん、今に始まったことや無いから」

次第に紅茶の良い匂いがしてくると、ケーキの隣に温かい紅茶が出された。


「それじゃあ、ゆっくりしてって下さい」

それだけを告げ、は自室に向かおうとした。
反射的に白石が離れて行く右手首を掴むと、振り向いた彼女の目が大きく見開かれた。
その眼があまりにも大きいので、ぽろりと零れてしまわないだろうかと白石は余計な事を思う。

だからこそ、こんな月並みな言葉しか出てこなかったのだ。

「謙也が帰ってくるまで、話し相手になってくれへん?」





自分の紅茶を入れると、はテーブルを挟んだ白石の正面に座った。

「なんか新鮮ですね」
「せやな。時々学校で会うだけやし」
「謙也君に用事がある時しか会わへんし……いや、会うたら後が怖いし」
「怖い?」

白石が言葉の端を繰り返すと、は神妙な面持ちで呟いた。

「白石先輩、めっちゃファンおるやないですか。2人で話そうものなら、目こんなに吊り上げちゃって」

目の端を押さえくっと吊り上げるその仕草に、白石は思わず苦笑した。

「それに……」
「まだなんかあるんか?」
「……謙也君が、あんま白石先輩と話したらあかんって……」

言葉尻を弱めながら告げると、は誤魔化す様に紅茶に口をつけた。

「え、俺なんかした?」
「いや…財前君とも話すなって言うてるから、単に自分以外の男と話すのが気に食わないんやないですかね。謙也君ほんまアホやから」

楽しげに笑う彼女を改めて見る。
兄妹とはいえ謙也と違い脱色されていない黒髪や特別美人ではないが、その愛らしい容姿にはどこか惹かれるものがある。
謙也が過保護になるのも無理は無い。

白石は今まで何人もより美人な女性を見てきたし、自分の姉も美人だ。
だがその女性達よりもの方が何倍も愛おしく思えるのは、惚れた欲目だと白石は自覚している。



「白石先輩?」

の声が聞こえたところで、白石ははっと我に返った。


「でも、白石先輩って優しい人なんですね。もっと怖い人やと思ってました」
「なんでやねん。俺、そんな近寄りがたいオーラ出してるか?」
「多分私の勝手な認識やと思います。こうやって話してみたら楽しいし」

屈託の無い柔らかな笑みを浮かべたに、白石は暖かな感情と共に不安を感じた。
面識があまり無い自分に対してここまで穏やかな表情を見せるのだ。おそらくこの表情は誰に対しても向けられている。

その事実が白石にとっては彼女の人間性を評価する対象になると同時に、憂うような気持ちにさせた。
不特定多数ではなく、自分にだけその笑みを向けてほしいと。


「なぁ、ちゃん」
「はい?」
「俺は我が侭やし狡い。部長や言うても自分の好きなようにしてるし、嫌な事は絶対にやらん」

言葉の本質を探るようには思考を巡らせるが、答えを導き出す事は出来なかった。
そんなに白石は真っ直ぐ視線を送り、次の言葉を発した。

「けど、ちゃんにやったら優しく出来そうや」

そう言って笑みを向ける自身が狡いと、白石は思う。
自身の容姿については15年生きた中で他人から与えられる言葉でそれが武器になると認識していた。

それを今一人の少女に向けているのだ。その好意自体狡猾といっていいだろう。
例えるなら全てを無造作に焼くようなニトロを着火させるようなものだ。

しかしは白石の意に反して、面白いと言わんばかりにくすくすと笑った。





「白石先輩って、思ったよりアホなんですね」
「……え?」

呆気に取られた白石の手に自身の手を重ねると、真っ直ぐに白石の眼を見つめこう言った。


「私は作った性格やなくて、優しさの下にある白石先輩の本性をもっと知りたいです」



頭の中で何かが爆ぜたような感覚を覚えたのは、彼女の言葉で本能が燃えつくされてしまったからだろうか。
そんな妄言を脳内に巡らせる程、白石にとっての言葉は衝撃的だった。






その後「せやけど私、謙也君みたいな人がタイプです」としっかり二つ目の爆弾を投下したに、眩んだ脳内に前途多難の四文字が頭をよぎった。