闇夜に響くのはザク、という土に埋まる音。




その音は一定の感覚で発せられ、ある時点から鳴り止んだ。
その音の正体である少年、綾部喜八郎は手鋤を握る手を緩めた。







「綾部くん!」


自身を呼ぶ声に綾部は地面を見つめていた顔を上げた。



「……先輩」

綾部はぽつりと目の前に立つ少女の名を呼ぶ。



「…私に何かご用ですか?」
「うん、あのね…兵助見なかった?」
「兵助……久々知先輩、ですか?」



風がザア、と鳴る。
自身の心を写したかのような風の音に、綾部は一瞬気を取られる。



「うん、そう…用事があって探してるんだけど、姿が見えなくて」
「……そうですか」

如何様にも取れる綾部の反応に、は戸惑う。
しかし、視線が無意識に掘り起こされたばかりの地面へと向く。


「……こんな時間までタコ壺掘ってたの…?」
「…いえ、違います。タコ壺を埋めていたんです」
「埋めた…?どうして?」

の疑問に、綾部は事も無げにこう答えた。


「もう必要が無くなったので、埋めたんです」
「必要無くなったって…え……?」



風が二人の髪を揺らすと、雲に隠れていた月が辺りを照らした。

は視線を落とす。


真新しく掘り起こされた土に何かが落ちている。




目を凝らして見るとそれは、


人間の、長く黒い髪の毛。




その柔らかな黒髪は、に一人の人物を思い起こさせるには十分な材料であった。


「綾部君、まさか…ここに埋められているのって……」


自身の恋人が目の前にいない事をこれまで恐ろしいと思った事があったであろうか。

もしかしたら、自分が踏みしめている土の下に居るかもしれない。

そんな恐ろしい事など無いと、目の前の少年にそう告げて欲しい。
はそれだけを望んでいた。





「どうぞ」

綾部はの言葉に肯定も否定もしないまま、自分の右手にある手鋤をに差し出した。


「私の愛用している手鋤です。先輩になら貸してあげます」
「え?それってどういう……」

状況を整理しきれないまま手鋤を受け取ると、は戸惑いの表情を見せた。

そんなの心情を知ってか知らずか、綾部は無機質な表情でこう告げた。




「きっとあなたには、必要なものでしょうから」


それだけを言い残し、綾部はその場から立ち去った。



まさか、まさか、まさか


最悪の状況を脳内から消し去れないまま、は必死に手鋤で綾部が埋めた蛸壺を掘り起こし始めた。










四年生と五年生の戦闘訓練。


そこで綾部は想い人の特別と戦う事となった。


「…よろしくお願いします」
「…ああ、よろしく」

お互いに一礼すると久々知は手裏剣、綾部は手鋤を構えた。


「…ふざけてるのか?」
「いいえ、これが一番私が使いやすい獲物なので」
「……勝手にしろ」

開始の合図と共に、久々知は綾部に向かって手裏剣を投げた。
それを手鋤で払い除けると、手鋤を構えたまま走り出す。

刃が止められた寸鉄を構えようとした瞬間、綾部は手鋤で土を跳ね上げ狙いすましたかのようにその手元に礫を打ち付けた。
石混じりの土が勢いよく降りかかると、久々知は寸鉄を取り落としてしまう。

咄嗟の判断で、久々知はその場から飛び退いた。


「逃げないで下さい、久々知先輩」


屈んで手鋤を素早く横に振り抜くと、足元を払われた久々知はバランスを崩し背中から倒れ込む。


「しまっ……」
「久々知先輩」


実践を何度も繰り返したからこそ分かる。
この男は、ただの訓練で終わらせるつもりはない。


久々知がその判断を下した瞬間には既に、綾部は懐に踏み込んでいた。





「私は、貴方が憎ましいのです」




綾部は、手鋤の代わりに握られた苦無を振り上げた。






「今頃、全て掘り起こした所かな」


綾部の放った苦無の一撃が久々知の髪を一房切り落とした所で、制限時間を終えた。
結果は引き分け。五年生と引き分けただけでも上出来だ、と周りは綾部を賞賛した。

その賞賛の言葉は向けられた本人の耳に入らず、綾部はただ切り落とされた黒髪をじっと見つめていた。





先輩、私の事を嫌いになったかな」


蛸壺には何も入っていない。ただ、その上に切り落とされた黒髪を落としただけだ。
が探すあの男は人目につかない場所で鍛練でもしているのだろう。

人一倍の努力をしている癖に、努力する姿を人に見られるのを嫌う。


今頃彼女は何を思うのだろうか。

想定していた最悪の事態が起こらなかった事への安堵か
それとも、彼女にとっては不可解である綾部の行動の真意を図っているのか。





「(どのような思考でも良い。少しの間でもが自分の事を考えてくれるのであれば、それが私にとってこの上ない至極だ。)」





月明かりに照る綾部の表情は、更なる残虐性を感じさせる笑んだ顔をしていた。