春特有の微睡んだ空気の中、ぼんやりとした思考が覚醒していく。
ゆっくりと目を開けると、目の前には肌色が広がる。

はっきりと意識が戻ると、それは背の丈に似合わない恋人の胸板だと気づく。

本人は自分を抱いて寝ているつもりなのだろうが、の方が身長が高いので、抱くと言うよりは抱き着くという表現の方が合っている気がする。


「……恭平、起きてる?」
「…かー……」

当の本人は、だらしなく口を開けて気持ち良さそうに眠り続けている。
その顔は普段より幾分か幼く見える。



「………」

そんな緩み切った顔を見てると、ふつふつと悪戯心が沸いてくる。

世良の腕から抜け出ると、は洗面所へと歩いていった。




戻ってきたは、剃刀とシェービングクリームを手にしていた。

視線の先には、幼い顔の中で唯一男らしさを感じさせる世良の顎髭。

「……前々から鬱陶しいと思ってたのよねー…」


は迷うこと無くシェービングクリームを塗ると、世良が起きないよう丁寧な手つきで髭を剃り落とす。
タオルで残った泡を拭き取れば、そこには一際幼い顔の世良がいた。


その子供のような寝顔に満足すると、は剃刀やシェービングクリームを戻し、朝食の準備を始めようと適当な服を着てキッチンに向かった。



「うー…おはよ……」
「おはよ。ぼんやりしてないで顔洗っておいでよ。朝ごはん出来てるよ」
「…んー……」

寝ぼけ眼を擦りながら、くああ、と欠伸をして洗面所に消えていった。

「…ほんと、子供みたい」
込み上げる笑いをこらえながらデザートの果物を切り始めた。

「うあああああああ!!??」

すると程なくして洗面所から叫び声が聞こえてきた。

それからバタバタと賑やかな足音。

ー!!お…俺……俺の髭……」
「鬱陶しいから寝てる間に剃った」

バッサリとそう言い切ると、テーブルに朝食を並べ始める。
そんな恋人の反応を見て、世良はがっくりとその場に項垂れた。

「…たかが髭が無くなったくらいで何をそんなに落ち込んでるんだか」
「俺にとって髭が無いのは全裸でいるのと一緒だ!!」
「うるせー!パンツ一丁でんな事抜かしてる暇あったらとっとと着替えて飯食え!!」





トーストをかじりながらも、世良は落ち込んだような顔をしていた。


「……付き合い出した頃は髭なんて生やしてなかったじゃない。何で今になってこだわるの?」
「……だって…」
「だって?」

が聞き返すと、世良は唇を尖らせたままぽつりぽつりと呟き始めた。


「……、覚えてるか?付き合ってすぐの時…」
「え?」
「買い物に行った時、店のおばちゃんが……」




『あら、ちゃん!今日は弟さんと一緒なのね!』




「……まさか…」
「俺は!の彼氏だ!男らしくしてたいんだよ!」

世良はバシバシとテーブルを叩きながら主張した。


「ふーん…男らしく、ねぇ……それなら、堺さんと浮気でもしようかしら」
「…え、ええぇ!?」
「男らしいのが私に合ってるって言うなら、堺さんの方が断然男前だわ。ぶっきらぼうだけど優しいし、背も高いし、ストイックだし」
「いやいやいや!!何彼氏の前で堂々と浮気宣言しちゃってるの!」
「あんたは何もわかってないわ!」

はビシッと長い人差し指をつきつけた。



「たしかにあんたは私より背が低いわよ」
「うっ」
「童顔だし、いっつもギャーギャーうるさいし」
「ううっ!」
「何回言っても裸でウロウロするし、人の風呂には入ってくるし、中学生みたいにベッドの下にエロDVDだって隠してるわよ!!」
「な、何でそんな事まで…!」
「でもね!!」

の剣幕に世良は圧倒されっぱなしで、ぐっと押し黙った。




「それでも私があんたと付き合ってるのは何故かって、考えた事は無いの?」
「……!!」

世良は大きな目を更に見開いた。



「……なら、こう言った方がいいかしら」

溜め息を一つ吐いてから、はニッコリと綺麗な笑みを見せた。



「私は可愛い男が大好きよ、恭平」
…!!」

この時世良は、この上なく緩みきった顔をしていた。








「で、でもまた髭は生やすからな!もう弟にみられるのは嫌だ!!」
「あーはいはい、好きにすれば?」


幼い顔の恋人が見たくなったらまた剃刀を持ち出すだけだ。




恋人がそんな不穏な事を考えているとは露知らず、世良は上機嫌で朝食のトーストにかじりついた。