「諸君、心の準備は出来とるかね」
普段の関西弁ではなく、畏まったような口調でそう告げると、雰囲気に呑まれた千石と長太郎が小さく息を飲んだ。
「それより早くやろうよ。今日で締め切りなんでしょ?」
「情緒の無い奴やな!念願の創部やで!夢にまで見た軽音部……少しくらい余韻に浸らせてくれたかてええやろ!!」
「浸るのはやる事済ませてからでええじゃろ。時間が足りんくなって焦るのは嫌じゃ」
「そうそう。さっさと始めようよ」
部員達に急かされ、謙也は不満げに唇を尖らせながら鞄から少し折れ曲がったプリントを取り出した。
そこには『新規部活動申請届』と書かれている。
「おおー…これが……」
「せや。やっとこれに名前を書く日が来たんや…」
「よし、部活動は軽音部…」
「っておい!無視かい!!」
「やかましい。さっさと書いて私はギターが弾きたいんだよ。あんたの情緒や余韻なんて財布に入りっぱなしの期限切れのクーポンよりどうでもいいわ」
冷え切った目で謙也を睨むをよそに、千石と仁王と長太郎の3人は次々と申請届を書きすすめている。
「ええと、活動内容は軽音楽の演奏…あれ、そういえば……顧問の先生がいるんですね」
「その辺に抜かりは無いぜよ」
長太郎からペンを取ると、顧問の欄に『渡邊 オサム』と記入した。
「え、オサムって…英語教師の渡邊先生ですか?」
「何か部活動の顧問になれと教頭から急かされてたんじゃと。時々軽音部に顔出して未成年だけじゃ承諾出来ない事に名前貸して貰えたらそれでいいって言うたら二つ返事で了承してくれたぜよ」
「ビックリする位やる気の無い教師だな、あのチューリップハット」
「お前が言うなお前が。ギターにしかやる気見せへん癖に」
「見せてやろうか殺る気。あんた限定で」
暴れ出したを千石が後ろから羽交い絞めしている横で、申請届への記入は更に進む。
「活動場所は…防音になってる所がいいですね」
「なら視聴覚室じゃの。音楽室は吹奏楽部が使っとるし、ここなら場所もそこそこ広いからドラムセットやらアンプやら置いても十分広い。ライブDVD見れるしCD聞けるし。至れり尽くせりじゃの」
活動場所申請欄に視聴覚室と書いた所で、仁王はペンを一旦机に置いた。
「…あとは、部長決めじゃの」
仁王がそう呟いた所では僅かに首を傾げ、当たり前の様にこう言った。
「え、謙也じゃないの?」
「は?俺!?」
「まあ、妥当じゃの」
の言葉に仁王が同意すると、謙也は慌てて仁王に詰め寄る。
「ちょっと待てや。何で俺やねん!」
「まあしいて言うなら、消去法じゃの」
仁王は指先を長太郎に向けた。
「鳳はバンド活動初心者じゃ。いきなり部長は荷が重い」
「そうですね、俺にはちょっと勤まりません…」
次に指先を隣に座っていた千石に移す。
「千石は見ての通りのいい加減で適当な男じゃ」
「あはは、君にだけは言われたくないなぁ」
そして自分に指先を向ける。
「それで俺は転校してきたばかりでこの学校の事や周辺の事はなんも知らん。その分外での活動や学校行事にはどうも遅れを取る」
「……せやな。まだ転校してきて1カ月半てとこやし」
最後に、音楽雑誌を読みふけっているを指差す。
「そして最後に残ったのは1人じゃが………に部長が任せられるか?」
「…部長やらさして頂きます」
「おい、どういう意味だそこの2人」
手にしていた音楽雑誌がミシリと嫌な音を立て歪んだ。
「さて、申請書も書き終えたし。早速生徒会に提出……」
「待ちんしゃい。もう一つ書くもんがあるぜよ」
「なんやねん、俺待たされるの嫌いやねん……ん?」
謙也の眼前に差し出されたプリントには『備品申請書』と書かれている
「……なんやねん、これ」
「文字通り部費だけでは賄えない高価な物や、破損した備品の買い替えを申請出来る用紙じゃ」
「そんなん言われんでも分かるわ!まだ活動も始まっとらんのに何を申請するんやっちゅー話や!」
「まあ、俺に任せときんしゃい」
ニヤリと悪どい笑みを見せた仁王に、謙也は嫌な予感がして身震いした。
次いで仁王からはこんな言葉が発せられた。
「あの生真面目な生徒会長に、やられっぱなしは性に合わん」
「………………」
「ちゃんと部員も揃っとるし、顧問もおる。文句無いやろ?」
眉間に深い皺を刻みつけながら、生徒会長である佐藤は部活動申請書に判を押した。
そしてあからさまに大きな溜め息を吐くと、視線を長太郎へと向けた。
「…鳳君、君には失望したよ。何故こんなろくでもない奴らと……」
「おいメガネ。私の前でうちの部員を貶すなんていい度胸してんなおい?やるか?売られた喧嘩は十日一割の利息でのし付けて返してやるからな」
気まずそうに視線をそらす鳳の前に立つと、は拳をパキパキと鳴らし佐藤に近づいて行った。
「それよりも、こっちの用紙も申請を受け付けてくれんか」
の肩をやんわりと掴み制すと、仁王は机の上に先程記入した備品申請書を置いた。
「……何だこれは」
「この前うちのギターアンプが壊れてしまったんじゃ。なんとか予算の都合つけてくれんかの?」
「何を言っている。そんなもの受理出来る訳が無いだろう!」
「ほー…そうかそうか。屋上で練習していたらギターの線を無理矢理引っこ抜かれて真空管がダメになってしもうたんじゃが、受理出来んか」
「…………何だと?」
聞き覚えのある単語の数々に、佐藤は眉をピクリと吊り上げた。
相手の反応に仁王は内心ほくそ笑みながら話を続ける。
「吹奏楽部の部長が知識も無く制止も聞かず一方的に音楽機材を壊したなんて、笑い草じゃの?吹奏楽の部長たるもの、音楽機材の知識なんてあって当たり前だと思うとったんじゃが……買いかぶりすぎていたようじゃの?」
「僕を愚弄する気か?この生徒会長であり全国大会常連の吹奏楽部部長であるこの僕を!」
「愚弄?そう聞こえたのなら謝らなきゃいかんの。しかし俺は事実を述べただけなんじゃが…世間話には持って来いのネタだと思わんか?」
ものの見事な交渉術で、仁王はあっという間に話の流れを自身の思い通りに持ち込んだ。
これにはさすがの佐藤もなすすべなく、3分後には怒りに手を震わせながら備品申請書に判を押していた。
「……破損した機材と同じものを用意する。それでいいだろう」
「それは無理だと思うぜよ」
「…何故だ?」
「あれは年代物の良いアンプじゃ。今じゃ中々手に入らない上にプレミアがついて相当の値段がついとる。新しいアンプをこっちで買い替えるから現金で……そうじゃの、6万程あれば足りるかの」
仁王はそれだけを告げると、生徒会室からいち早く出て行った。
と千石がそれに続い廊下に出ると、その次に慌てて謙也が追いかけ、最後に長太郎が佐藤に一礼してから生徒会室を出た。
「にしてもお前、口が上手すぎやろ……」
「それだけが取り柄じゃからの。6万あれば、鳳に新しいキーボードが買ってやれる」
「え……?」
いきなり自分の名前が出るとは思っておらず、長太郎はきょとんとした表情で仁王を見た。
「お前さん、まだ楽器持ってないじゃろ。さすがにグランドピアノを運び込む訳にもいかんし、キーボード一つ買ったら部費なんぞすぐに吹っ飛ぶ」
「え、でも…そんな、悪いです!」
「悪くないよ。どうせ口八丁で騙し取った金なんだから」
「……どういう意味や?」
「うーん、状況が理解出来ていない謙也君の為に、説明が必要みたいだね」
千石が笑いながらに言うと、やれやれと言わんばかりに溜め息をついた。
「屋上で壊れたというアンプ。あれは誰がどっから持ってきた?」
「…仁王が、雑品庫から……あ」
「そう、もともとあれは学校に昔から置いてあった備品。軽音部の物じゃないんだ」
屋上での出来事を思い返し、謙也は自身の顔が青ざめていくのが分かった。
「そ、そうや……それなのに、軽音部の備品みたいに……」
「それだけじゃないぜよ。あの生徒会長、口だけでオーケストラで使う楽器以外の知識は伴ってないみたいじゃからの」
「…え?」
俯いていた謙也が顔を上げると、そこには満足げな笑みを見せる仁王がいた。
「たかがコード一本引っこ抜いたくらいで、アンプが駄目になると思うか?」
その一言で、謙也は全てを理解した。
「詐欺まがいの事をするな!!!」
「謙也、知ってる?詐欺まがいは、詐欺じゃないんだよ」
「おお、良い事言うたの。」
「へへへ」
頭を撫でられ、は嬉しそうに笑った。
それだけなら微笑ましい光景だが、背景が背景なだけに全く笑えない。
「……お前ら、2人共部室戻ったら正座して反省やー!!!」
廊下に謙也の怒号が響き渡ったのがスタートの合図で、と仁王は音速で逃げ出した。
「なかなか良い部長になりそうだと思わないかい?」
「そうですね!忍足先輩が部長に決まって良かったです」
と仁王を追いかける謙也を見て、千石と長太郎は顔を見合わせて笑った。