七月。じめじめとした梅雨が終わり、大阪にも夏がやってきた。
テストも終わり、あとは全国大会と夏休みを待つばかりだ。
そんなからりとした日の下で、ぶすくれた表情をする男が一人。
言わずもがな、財前光だ。
「何か手を打たんと……後手に回ってたらあきませんわ」
「の事か?」
俺の問いに小さく頷くと、ゼリードリンクをすする。
俺が弁当のミニトマトを差し出すと、嫌々ながらも口を開いた。
夏になるとこの後輩は食欲が無いとかで、極端に食が細くなる。
だからこうして弁当の中身を食べさせるのだ。
「千歳先輩は確かに体格も良いし豪快で男らしい。先輩の好みにドンピシャなのはこの数ヶ月で嫌っちゅー程分かりましたわ」
「せやなぁ。かっこええしな、千歳」
「けど、そんな事で諦められるならもうとっくに愛想尽かしてますわ。絶対、千歳先輩に負けたりなんかせぇへん」
「そんな事言うたって………「よう言うた!財前!!」
俺の言葉を遮るように、声が響き渡る。
「この声は……白石、どこにおんねん!!」
「ここや」
いきなり影が差したかと思うと、白石が上から降ってきた。
空中で一回転すると、地面に降り立つ。
「って、ここ屋上やぞ!どっから来たんやどっから!!」
「あぁ?そんなん、白石家伝統の技を使えば造作も無い事や」
だからどこの末裔だ、白石家。
つうかそのどや顔はやめろ。なんかムカつくから。
「話が逸れてもうたな。財前、俺から一つ提案なんやけど」
「は……提案?」
「せや。俺と手を組まんか?」
白石がこの上なく良い笑顔で言い放つと、光は対照的に嫌な顔をした。
「何で俺が白石部長と手組まなあかんのや。そんなん無理っすわ」
「せやかて、目下最強の敵が現れてもうたやろ。個人戦じゃ明らかに分が悪いわ」
「…………」
どうやら光にも思う所があるらしく、黙りこくってしまった。
言葉が出ない事を誤魔化すように開いた口にゼリードリンクが押し込められていく。
「協力は惜しみなく。どっちに転んでも恨みっこなし……どや、悪い話やないと思うけどなぁ?」
「…ギブアンドテイク、って事っすか。そんな余裕かましてええんすか、白石部長」
「お前も負ける気せぇへんのやろ?」
「…………」
「…………」
お互いにじっと睨みあった後、2人同時に低い声で笑い出した。怖い!!
「……で、俺にこんな事言い出したって事は何か作戦があるって事っすか」
「さっすが財前、話が早いわ」
そう言うと白石はYシャツの裾を捲り上げてズボンに差し込んでいた冊子を出した。
どこにしまってるんだどこに。
「これや」
「何やそれ?」
白石の体温でぬくもった冊子を見て俺は首を傾げた。
すると光が飲み終わったゼリードリンクの空をゴミ袋に押し込んでから口を開いた。
「……前に受けたテニス部のインタビューが掲載してある冊子すわ。テニス部レギュラーのプロフィールは全員載ってる筈や」
「ああー……なんかそんなん前に受けた気するわ」
「ちゅうか公式ファンブッ「あかん!それを言うたらあかん!!次元超えてまうわ!」
「次元を超えるなんてのはなぁ、白石家伝統の……」
「分かったから!すごいなぁ!白石家すごいなー!!」
軽く二次元のタブーを侵しそうになる白石を必死で止める。
幾らバイブルだろうが無駄の無い男前だろうが越えちゃいけないもんがある。
「で…それなんなんすか。要領得ませんわ」
「わかっとらんなぁ……ここには当然千歳のプロフィールも載ってるっちゅー話や」
人の口癖をパクりつつ白石は冊子を捲り始めた。
そして、その指は千歳のページで止まる。
「千歳千里……苦手なもんは、『クモ』や」
「………クモ?」
「せや。ああ見えてクモが苦手なんて、男らしい男が好きななら幻滅するやろ」
「そうか?誰だって苦手なもんの一つや二つあるやろ」
「ギャップの問題やねん。あんなでっかい身体でクモに怯えるなんて男らしくないやんか」
俺が首を傾げる横で、光は納得したように頷いた。
ポケットから携帯を出すと、素早い指の動きで何かを操作し始めた。
「つまり……クモの用意をしたらええって事っすね。クモ……ネットとかででかいのあるんかなぁ…」
「ってマジで用意するつもりなんか!しかもでかいの!!」
「ホンマもんはさすがに部活に影響出るから部長としてそれは出来んなぁ……レプリカでええから精巧なの頼むわ」
「……それやったら多分、知り合いが…」
光の背後から携帯の画面を覗く白石。2人の顔が並ぶなんて女子が見たら卒倒ものだ。
その実一人の人間を貶めようと画策しているのだが。
「………相手の弱点突く方が男らしくないと思うんやけど…」
「それは禁句っすわ」
「うーん……」
教室に戻ると、が机に突っ伏して唸っていた。
「何や、悩み事か」
「いやね、女の子はコンサバ系とか小悪魔系とかギャル系とか森ガールとかそういうファッションを形容するもんが多いけど、男ってあんまりそういうの無いなぁと思て」
「ああ、確かにそうかもしれんなぁ」
だがどうでもいい。口には出さないけど。
口に出したら何倍にもなって返ってくる。暴力と言う名のツッコミで。
「せやから、新しい名前を考えて一発当てたろうかなと」
そう言ってノートにぐりぐりと特徴的な字で何かを書き殴る。
「一発当てるって何やねん……つか、そう簡単に思いつくもんでもないやろ」
「思いついた!」
「早っ!!」
何を書いたのかよくわからないノートを見て何故か自信満々な。
「森ガールに対応して土手ボーイとかどうよ!!」
「センスの匂いがまったくせぇへんのやけど」
「まぁ最後まで聞きぃな、ほんまにイラチやな……謙也、森ガールってどんなんか分かるか?」
「え……なんか、森にいる感じの格好しとる奴やろ?」
「なんかそれだとマタギみたいやな」
普通に返したのにツッコミ待ちかみたいな感じで返された。
もちろんそんなつもりはまったくない。
「森ガールは森にいる感じの女の子。せやから土手ボーイはこんな感じやな」
・白いタンクトップが似合う
・半ズボンが似合う
・髪の毛が異様に短い
・いつも生傷か土汚れがある
・動物に対するネーミングセンスがベタ(犬にポチ、猫にタマ、エリマキトカゲにヒポポタマス)
・音痴の癖に空き地でリサイタルとか開く
・しかしカラオケのCMでは異様に歌が上手い
「明らかにおかしいやろ特に最後の2つ!!1人しか該当しないっちゅー話や!」
「つまり土手ボーイのファッションリーダーは彼って事になるなぁ」
「ちゅーか他の誰も真似出来んやろ!」
きーんこーんかーんこーん
「さって、ベタなチャイムも鳴った事やし、部活行かなあかんな」
そこで俺ははっとある事を思い出した。
『上手い事言うて、を男テニの部室に連れて来い』
白石からそう言われているのだ。俺まで加担しているようで正直、気が進まない。
がしかし、後でとばっちりを喰らうのはもっと嫌だ。
「……あんな、。白石が用事あるから男テニの部室来い言うてたで」
「は?何でやねん。コートの隅でも教室でも何処でも話せるやろ」
「えーと……とにかく、伝えろって言われてんねん」
「伝えるだけならもう聞いたからええやんか。あの変態の言いなりになるのがなんか気に食わん」
ここで失敗したら後でどんな仕置きが待っているか想像しただけで怖い。
俺は普段使わないような思考を働かせ、咄嗟に機転を利かせた。
「………今の時間なら丁度皆着替えてる時やし、千歳の裸が拝めるかもしれへんで」
「……自分が嫌な方向に成長していってる気がするわ…」
「あー?何か言うた?」
「い、いや!何でもないわ!」
俺はと2人で男テニの部室に向かっていた。
結果的に作戦は成功しているのだが、俺は何かを失ったような気がする。
が小走りで部室に駆け寄ると、勢い良くドアを開け放った。
「ちゃーす!千歳の裸を拝みに……じゃなくて、白石に呼ばれて来てやったで!」
「、よう来てくれたなぁ」
「そらもう極上のらた………何やねん、いきなり呼び出して」
本音がボロッボロ漏れつつも一応不機嫌そうな表情になる。しかし口元ゆるゆる。
何を言ったのかと言わんばかりに白石と光が2人同時にこっちを見てきたが反射的に視線を逸らした。
「女テニの部長に渡して欲しいもんがあんねん。用意するからそこでちょっと待っててな」
「あー……白石、うちの部長苦手やもんなぁ…」
「すまんなぁ…に任せるのも悪いと思うんやけど」
「いいよ別に。苦手なもんは仕方ないし」
さすが白石。用意や演技にも無駄が無い。
ロッカーをごそごそと漁り完全に背を向けてる所を見ると、光が実行に移すようだ。
「……あ、千歳や!」
部室の窓から大きな身体が見えた。
すると白石と光が目線を一瞬合わせる。
「いやー、遅れてすまんばい」
いつもののんびりとした口調で千歳が部室に入ってきた、その瞬間。
ぼたぼたぼたっ
に気づかれないように光が素早い動きで右手を上に振り上げたかと思うと、千歳の周りにクモのレプリカが大量に落ちてきた。
気持ち悪い。クモに特別な苦手意識を持っていない俺ですら気持ち悪い。
「ほわぁぁぁああ!?何これ!クモ!?」
一番驚いているのはだった。
当たり前と言えば当たり前だ。この中で知らされていないのはと千歳だけだし。
「、よく見たら分かるとよ。これはおもちゃたい」
「え……お、おもちゃ?」
「ほら。ようできとって、むぞらしかねぇ」
「え」
俺と白石、光の3人は目を点にした。
千歳がクモのレプリカを手に取りに見せながら微笑んでいるからだ。
「あ……あんなぁ、千歳」
「ん?なんね?」
しゃがんでクモのレプリカを次々と拾っている千歳に、俺が声を掛ける。
「千歳って……クモとか苦手やないん?」
「?……俺、くもは苦手たい」
「せやかて、これ可愛いとか言うて……」
「お天道さんが出てない日は寒くてひなたぼっこが出来ないから苦手とよ」
まさか、千歳の苦手なクモって
「蜘蛛やなくて……雲?」
そんなベタなようなある意味斬新なようなオチに、白石と光はがっくりと項垂れた。
そして、はそんなナチュラルボーイの意外に可愛らしい一面を見て、改めて惚れ直すのであった。