「ゲームセット、ウォンバイ。6−0!!」
審判の声が響き渡ると、はふう、と一息吐いてからコートに歩み寄り、泣いている対戦相手と握手をした。
申し訳なさそうに顔を歪めていたが、背を向けコートから出る時には既に普段通りの顔に戻っていた。
試合を見ていた俺の姿に気がつくと、はひらひらとやる気がなさそうに力無く手を振る。
「ういーっす。お疲れちゃん。どや、男子の方は」
「ぼちぼちやな」
「ぼちぼちで全国大会勝ち残ってるってどうよそれ」
「言葉のあやっちゅー奴や。実際めっちゃ本気出してるしな」
は俺の座っていたベンチの隣に腰を掛け、鞄からタオルを出して汗を拭いた。
「すげー暑い。汗めっちゃかく」
「この時期は水分と塩分こまめに補給しとかんとあかんなぁ」
今日は真夏日で座っているだけでも汗をかく位の暑さだ。
すると、暑さにやられたのか無気味な笑い声を上げながらが鞄を開けた。
「その辺は抜かりないよ。水も多めに持ってきてるし、弁当で塩分補給も出来る」
「弁当持って来てるんか。何入ってるん?」
「茄子味噌田楽」
「何でそのチョイス」
試合の空き時間
アクエリアスを買ってどこかで飲もうと散策をしていると、木陰で涼んでいる白石がいた。
頭からタオルを被っているその行動自体はオヤジ臭いことこの上ないが、それでも何故か決まっている辺り腹立たしい。
そのままスルーしようという気も起きず、俺は白石のいる方へと歩いて行った。
隣に座ると白石が俺に気付き、顔を上げた。
「暑いなぁ」
「ああ……異常気象やな」
顔は普段通りの涼しげな顔だが、何となく疲れているような雰囲気を醸し出している。
「なんかいつもより元気無いんちゃう?」
「……なんというか、性欲を持て余す」
「ごふっ」
白石の思いがけない一言で、飲んでいたアクエリアスが思いっきり気管に入った。
「いきなり公共の場で何抜かしとるんやお前は!!」
「あれ、メタルギア知らんの?」
「げふっ…知っとるわ!知っとるけどお前の口から出たらあかんやろその台詞!!」
「いや、俺かて飯食うしトイレ行くし性欲だって持て余すわ」
幾ら持て余したって決して口に出して良いものではない。絶対に。
「ほら、あそこ」
白石が視線を送った先には、ノースリーブの女の人がいた。
「ええよな、二の腕って。あれくらい少し肉付いてる方がつまみたくなるわ」
「やかましいわ変態」
そんな事を表情変えずに言い放つこの男は何だ。絶対羞恥心を縁の下に乳歯と共に捨ててきてる。
「……ちゅうか、お前は一筋やと思うとったわ」
「何言うてんねん。俺は他の奴に浮気したりしてへんわ」
「せやかて、その辺の姉ちゃんの二の腕見とったやんか」
「ちゃうねん。あの人の二の腕を見て脳内での二の腕に変換「あかん!若い女の子が見とるのにそれはあかん!!」
慌てて白石の口を塞ぐと不満げに目を細め俺を見たが、俺は決して間違ったことはしていない。
「俺、初めてが不憫になったわ」
「どういう意味や」
「そういう意味や。にしても……」
「……なんや」
頭に掛けていたタオルを取りながら次の言葉を促す。
「………ってそこまで入れ込むほど可愛えか?」
「……何を今更」
「いや、確かに美人やしスタイルもええけど……性格とか言動とか残念すぎるやろ」
「それを差し引いても可愛えやろ。俺にとってはポメラニアン一万匹くらいの可愛さに匹敵する」
どや顔でそんなアホな事を言い放つこの男を2、3発殴った後頭を冷やす意味で道頓堀に突き落としても今なら許して貰える気がする。
そんなやり取りをした後白石と二人で四天宝寺のベンチに戻ると、普段の雰囲気とは違う空気が流れていた。
それをいち早く察知したのは白石で、僅かに眉間に皺を寄せ顧問であるオサムちゃんに歩み寄った。
「……何かトラブルでもあったんか?」
「いや、なんにも。皆試合前でちょっとピリピリしてるだけや」
白石の言葉を受け流し、オサムちゃんは何事も無いように競馬新聞を読み漁っている。
「……何もないなんて雰囲気か、これが…」
そう呟くとほぼ同時に、俺のジャージの袖を誰かが引っ張った。
そちらの方を向くと俯いたがいた。
「………どないした?何があってん」
俺が聞くと、は無言で俺の袖を引いたまま歩き出した。
その力と無言の圧力は思いの外強く、俺は引かれるがまま何も言えずに付いていく。
そしてベンチから数百メートル離れた所で、ようやく解放された。
それでもは何も話そうとしない。
普段からイラチで待ってられない俺は、居たたまれなくなり適当に話し始める。
「…珍しいな、がそんな暗い雰囲気出しとるのは」
「………千歳が、退部した」
「え」
一瞬の言葉が理解できず、俺は間抜けな声を出す。
「オサムちゃんにさっき退部届出して行ってん!謙也、どないしよ……私、止められんかった…」
は、先程の試合が終わった後を思い出させるような表情をしていた。
その表情からは冗談などという言葉は微塵も感じられない。
それ所か、目の前のは今にも泣き出しそうだ。
「落ち着け、お前が取り乱してもどうにもならんやろ!」
「したって……」
「千歳は退部届出してっただけやろ?オサムちゃんのあの口ぶりやったら、貰うだけ貰って正式には受理しないつもりや。きっと今頃ゴミ箱にでも投げ捨ててるわ」
確かな事は分からないが、3年間あの顧問に着いてきた末の自己分析だ。
「でも…千歳はもう戻ってこないかもしれへんやろ」
「千歳は戻ってくる。絶対に」
「……何でそんな事言いきれるん?」
「俺が嘘ついた事あったか?」
慰めるように笑いながら頭を少し乱暴に撫でて髪を掻き乱してやると、は少し頬を膨らせた後につられて笑った。
「…………いっぱいあるわ、アホ」
「そうかもしれんけど、こういう時に冗談は言うても嘘は言わんで。大人しく待っとき」
から離れ、俺はベンチに戻った。
目的は千歳でも顧問のオサムちゃんでもなく、俺のペア相手の光。
俺が近寄ると光は聞いていたipodのイヤホンを外し、怪訝そうな目で俺を見た。
「……謙也君?」
「次の試合。俺出ぇへんわ」
「…は?何言うてるんすか。暑さで頭沸いたんとちゃいます?」
「アホ。次の試合、お前のペア相手が変わるからその報告や」
その言葉に、光の表情は更に険しいものとなった。
分からない。おかしい。意味が分からないと思いっきり顔に表れている。
けど、頭が良い分俺の言っている事は理解しているようだ。
「……何でまた、そんなけったいな事するんすか。理解出来ないっすわぁ、退部届出したんは誰でもない本人なのに」
「なんもおかしな事はあらへん」
「強い奴がコートに立つのが当たり前っちゅーもんや」
俺の3年最後の夏は、試合に出る事無く終わった。