「あー…暑いなぁ」
連日の茹だる様な暑さに、神尾アキラは報告書の作成も進まずただぼんやりと外を見つめていた。
「暑い暑い暑い暑い暑い。あーつーいー。これから外回りとかマジでやってらんねぇ…アイスでも買ってくっかな」
バンッ
「ななななななな!!おい深司!いきなり撃つってどういう事だ!死ぬぞ!当たったら死ぬぞ!!」
破裂音の元は、伊武深司の持った拳銃が発した音だった。
神尾の汗は一瞬にして冷や汗に変わる。
「……警官の拳銃の一発目は、威嚇射撃用の空砲が詰められてるってどっかの漫画で見たことがあったような気がしたから撃ったら本当に空砲だった……つまんないの」
「お前実弾だったら懲戒処分だっつーの!つか何で俺撃たれなきゃいけないんだよ!」
「だって今サボろうとしてただろ…橘さんの邪魔になるような奴は足引っ張る前に消しておかないと……」
「暑いからちょっとぼやいただけだろうが!それなのにいきなり消すとかお前殺伐としすぎなんだよ!!」
「ぼやきは俺の専売特許なのに…キャラ被る前に消しておかないと」
ずがん、ばんっ
「っておい!二発目からは実弾…ギャー!やめてー!!」
「…お前達、仕事もしないで何をしている」
「橘さん!!!」
銃声響く室内に金髪の男が入ってきた。
名前は橘桔平。警視庁特別事件捜査課巡査部長という長ったらしい肩書きを持つ。
「事件だ。榊探偵事務所の所長が何者かに誘拐されたらしい」
「榊探偵事務所って…あの?」
「あいつらのせいで俺達の出番思いっきり減らされてんだよなぁ…特別事件捜査課とか言って特別な事件が無いからやってる事交通安全課と同じだし……」
「いや、お前は所構わず発砲するから刑事事件に関わらせて貰えないだけだろ」
「…………ほんと、嫌になるよなぁ…撃ちたいなぁ…撃ってもいいかな…撃ってもいいよね……」
ぶつぶつとぼやきながらじっと銃を見つめる深司。ハタから見たら完全に危ない人だ。
「た、橘さん。誘拐事件なら刑事課の管轄じゃないんですか?俺達が出て行って文句言われたりしないっすかね?」
「いや、その探偵事務所たっての願いで、あまり表沙汰にはしたくないらしい。刑事課が担当すると記者会見が必要になるしな」
橘の代わりに、石田が資料を捲りながらそう答えた。
「当然の判断だろうな。探偵事務所の所長が誘拐されたと知られたら世間の笑い者だ」
「なんだよそれ…俺達いいように使われてんじゃん。むかつくなぁ……」
不満そうにぼやいた伊武に、橘は優しく笑いながら伊武の頭を撫でた。
「まあそうぼやくな。久し振りの特別捜査だ。お前も駐禁取りばかりで退屈してたんだろう?」
「……思いっきり暴れて良いんですよね」
「懲戒免職にならない程度ならな。俺を慕って集まってくれたお前たちを誰一人として失いたくはない」
「橘さん……」
「橘さん!」
「「「たちばなさんんんん!!!!!」」」
涙やら鼻水やらを垂らしながら橘に飛びつく黒い集団。青い春。
「さあ行くぞ、榊探偵事務所へ!!」
「「「「「はいっ!!!!」」」」」
伊武以外の5人が声を揃えて返事をした。
「忙しいのにわざわざ来て貰って堪忍な」
「いえ、これが仕事ですので」
「噂は聞いてるで。警視庁特別捜査課……喪服を着ているのは現場で死ぬ覚悟はいつでも出来ている事の証明や、ってなぁ」
「……そうなの?」
「いや…俺も初めて聞いた。多分、誰かが後付けしたんだろうな」
「だろうね。だって『原作ジャージ黒ならスーツも黒だろ。あれ、これなんて喪服?まあいいや。アハー☆』とかいう勢いのみで作られた設定だしね」
伊武と石田が入り口付近の警備をしながら、二人の会話を聞いていた。
中央の応接セットでは、橘と神尾が依頼者の忍足の話に耳を傾けている。
と言っても、神尾はあまり理解しておらず、それでも汚い字で自分なりに手帳に何かをまとめて書き殴っている。
「それで、所長は誰かから恨まれる様な事はありましたか?」
「んー…まあ、ああいう性格やし恨まれることは多々あったやろなぁ…それでなくても財閥の御曹司。誘拐相手にはもってこい……」
忍足が言いかけたところで、レースカバーのかかったアンティークの電話が鳴り響いた。
「深司!」
黒い集団の目つきが一斉に変わり、橘が伊武に視線を送ると、入り口にいた伊武はもう既に逆探知のスイッチを入れ、ヘッドホンを装着していた。
「忍足さん…分かってますね」
「なるだけ会話を引き伸ばせ、やろ?分かっとるわ。ほな、出るで」
忍足の言葉に、黒い集団が一斉に頷いた。
チン、という音と共に受話器が取られる。
「……もしも『は―っはっはっはっはっはっはぁ!!!』
受話器越しに聞こえてきた高らかな笑い声に、忍足は思わず受話器を落としそうになった。
「なんだよこいつ…機械で声変えるとかそういう配慮は無いのかな…あー耳痛い…」
眉間に皺を寄せながらも、イヤホンから漏れるでかい声に耳を傾ける。
『要求していた500万と牛一頭とアジシオは用意できたかコノヤロー!!』
「いや、500万くらいならいつでも用意できるけどさすがに牛一頭は無理やろ……跡部財閥かて農場なんか持ってへんし」
『んだと!?どっちかってーと牛の方が欲しいのに!牛メインだっつーの!さばいて焼いて食うっつーの!!』
「ちゅーかこのアジシオって何やねん!自分で買えや百均とかで!!」
『大体の食い物は塩振ったらうまくなるんじゃあああぁぁ!!食材と塩化ナトリウムの運命的な出会いなんじゃあああ!kissから始まるミステリーなんじゃあああぁぁぁ!!』
『ちょっと先輩!さっさと電話切らないと逆探知され……』
ぶつっ
つーっ、つーっ、つーっ
「………深司、逆探知は」
「ばっちり」
「……………よし、行くか」
盛大な溜息を一つつき、先程よりも気合三割減で橘はソファーから腰を上げた。
「何で話の途中で電話切るかなぁ!馬鹿か!」
「あんたにだけは馬鹿って言われたくないっすよ!身代金が用意できたか確認しようと思ってたのにいきなり肉と塩の相性とか喋り出すし!!」
「まあどっちにせよ手遅れかなー。これだけの時間機械音声無しで喋ったら、来るのも時間の問題じゃない?」
いつの間にか時間を計っていた千石さんがストップウォッチをこちらに投げた。
そこには先輩が散々わめき散らしたタイムが表示されていた。
「……千石、お前随分と余裕じゃの?」
「ちゃんがいるから多分、大丈夫だよ」
「勝算ありって事か?」
「うーん…誘拐事件自体は失敗するだろうけど、面白いものが見られるんじゃないかな」
「……悪趣味な野郎だ」
亜久津さんのぼやきにいつも通りのゆるい笑顔で返しながら千石さんが立ち上がり、天井から梯子を下ろし始めた。
「……千石さん、なんすかそれ」
「屋上まで続く階段へ行く為のはしご。家改造した」
「………なんかそーいや、最近事務所がちょっと狭くなってたような…」
「細かいことは気にしないの」
果たして細かいことの一言で済ませていいものか。
そう突っ込もうとしたその時
「お前達は完全に包囲されているっ!大人しく投降しろ!!」
という高い声が拡声器越しに聞こえ、完全に俺のツッコミをシャットアウトされた。
「うわ、なんかすげぇキンキンする声が聞こえる!」
「あー、あの男の子みたいだね。拡声器持ってるし」
「いやー。すごいなぁ。今時そんなテンプレ的な言葉が聞けるなんて。今平成よ?しかもHey!Say!っ子がバレーボール応援しちゃうような時代よ?」
先輩のゆるいツッコミを聞きつつ、俺達は増築された梯子から上へと昇っていった。
未だに気絶してぐったりしてる跡部さんを片腕で担いで梯子を上る仁王先輩は、見かけによらず力持ちなんだなぁと思いました。