「あー…夏が過ぎたとはいえ。まだまだ暑いなぁ」
いつも通りの日課で事務所の掃除。
雑巾で棚や机を拭いて、要らなくなった書類は細かく千切ってゴミ箱に。
いつも通りのその日常に、先輩はいない。
先輩が謹慎処分をくらって、今日で一週間。
「はぁ……」
無意識に溜め息をつくと、切れ長の目がハードカバーの本から俺へと向けられた。
「何じゃ、でっかい溜め息なんぞ吐きよって」
「いや……仕事がはかどって良いんすけど、いないならいないで寂しいもんだなーと思って」
「の事か」
仁王先輩の言葉に首を縦に振ると、盛大な溜め息をつかれた。
「確かに、俺も今回の処分には納得いってないがのう……だけが謹慎処分ってのもおかしな話じゃ」
「ですよね!にしても……先輩何処に行ったんだろう…ほんとに実家に戻ったのかな」
「ああ、ならうちにいるぜよ」
当たり前のように言われたその言葉を理解するのに、数秒の時間を要した。
「………え?どういう事っすか?」
「ったく……ここで働き始めてどんだけ経っとるじゃ。頭の中身が低スペックすぎるぜよ」
「いや、だって…幸村所長が先輩に実家に帰るようにって言ってたし……」
「お前は何じゃ?幸村が帰れといわれれば帰るし幸村が死ねって言えば死ぬんか?あ?」
ヤンキーも裸足で逃げ出すような眼光の鋭さで俺を睨む。
ていうか俺も今すぐ逃げ出したい。
「でも、幸村所長にバレたら後々面倒になるんじゃないっすか?」
「俺もそう思って最初は断ったんじゃ、けど……」
『お願い仁王!謹慎が解けるまで泊めて!』
『幾らの頼みでも聞けんのぉ。幸村にバレたらどうなるか分かったもんじゃないぜよ』
『………一日泊める毎に、毎晩寝物語としてちゃんのひ・み・つ☆を一つずつ聞かせてあげよう』
「なんて言われたら、泊めないわけにはいかんじゃろ」
「年上の先輩にこういうのも失礼だと思うんすけどアンタ馬鹿か」
とりあえず先輩は実家に帰らず仁王先輩の家に居候しているらしい。
俺はそれを聞いて安心した。
一度家に戻ってしまうと、先輩は二度と探偵事務所に戻ってこないような気がしていたのだ。
「無様ですね」
某指令の様にテーブルに肘をついて、目の前に並ぶ黒い集団を睨んだ。
彼の名前は木手永四郎。警視庁始まって以来の若さで警視へと昇格したいわゆるキャリア組である。
「犯人を追い詰めておきながら逮捕にまで至らなかったのは貴方達のミスだ」
「……ああ、すまない」
「ちょ、ちょっと木手さん!あれは仕方なかったんすよ!いきなり警視総監から無線が入ったんすから!!」
頭を下げた橘と木手の間に神尾が割って入ると、木手の冷たい視線がそちらに向けられた。
一瞬その勢いに怯むが、負けじと踏み止まる。
「警視総監から無線連絡?そんな報告は受けていませんね」
「…まあ、そうだろうな。実際に無線を受けた俺だって信じられない位だ」
「だけど、あれは専用回線を使っての連絡でした。間違いなく警視総監です」
石田も橘に加勢するように言葉を発したが、木手はそれを気にも留めず神経質そうに眼鏡を上げた。
「とにかく、普段の業務に戻って下さい。特別事件捜査課は暫く活動停止とします」
「ちょ、ちょっと!?」
「何か文句でもありますか?ならば正式な文書で申請願います」
木手は神尾の言葉を一蹴し、興味が無くなったと言わんばかりに机に置いてあった書類を読み始めた。
神尾が更に食って掛かろうとするが、橘が肩を掴んで緩く首を振った。
「………はぁ、また駐禁取りか…」
「何言ってんだ、懲戒免職にならなかっただけで有り難い位だぞ……それでは、失礼する」
橘を先頭に、ぞろぞろと黒スーツの集団が木手の部屋を後にする。
「………いっぺん死んどけこのうんコロネ」
今まで一言も言葉を発していなかった伊武がぼそりと呟くと、勢い良く扉が閉められた。
額に青筋を立てながらも、深く溜め息を吐く。
特別事件捜査課の処遇もそうだが、木手の頭の大半を占めていたのは無線連絡の事であった。
現場に専用回線で連絡されたにも関わらず、自分には事後報告も何も無かった事。それが木手にとっては不満だったのだ。
「……にしても、普段はただのお飾りな警視総監が何故…?」
聞けば彼らの担当した事件とは、裏通りにある寂れた探偵事務所に誘拐犯を捕まえにいったという単純なものだった。
犯人の名前も存在もメンバーも明確に分かっていたというのに、無線一本でそれが無下にされてしまったのだ。
「…………幸村探偵事務所、一度調べてみる必要がありますね」
「あー…お肉がいっぱい食べたい……略しておっぱい……」
ぐるぐるとお腹を鳴らしながら、私は時間潰しの為にその辺をぶらぶらと散歩していた。
午前中はきちんと学校に行って授業を受けていたのですが、なんとなくやる気が無くなって抜け出してきました。
あ、普段は探偵事務所に通いつつ学校行ってるよ?
高校といえどもちゃんと出席しないと留年するからね!
私は今仁王の家に居候させて貰ってるんだけども、さすがにヒモ状態はよろしくないと思うのですよ。
あのホワイティがいかにサイドビジネスという名の詐欺で儲けてでっかいマンションに住んでようが関係ない。プライドが許さんのだ。プライドが。
けど短期で都合よく稼げるバイトなんて無いし、どうしようかと途方にくれてるわけですよ。
パンツでも売ろうかとも考えたが、パラレル夢小説の美人主人公としてはそんな現実的な金の稼ぎ方はしたくない訳だ。
「その頭の中がだだ漏れなのもどうかと思いますがね」
「あ?」
声がした方を振り向くと、高そうなスーツに高そうな眼鏡を掛けたチョココロネが立っていた。
あ、違う。チョココロネ本体じゃなくてチョココロネを頭に搭載したインテリジェンス。ちょっと柳生っぽい感じの。
「貴方は高校生ですね。こんな時間にこんな所で何をしているんですか?」
「あー、えっと……私高校生じゃないです。風俗の客引きです」
「数十秒前の夢小説の主人公が云々のくだりをまるで無視していますがいいんですかそれで」
おっとうっかり!
つうか客引きでも捕まるよね!なんとか法に違反するよね!
「その服には見覚えがあります……多少着崩して違う物を着ていますが、有名な女子高の制服ですからね」
「……もしかして、制服マニアかなんかですか」
「違います。仕事の都合上、覚える機会があっただけです」
「……ブルセラショップの店員ですか」
「これ以上若いお嬢さんに余計な知識を植えつけるのはやめなさい」
知らない人はお父さんかお母さんに聞いてみてね!多分ものすごく怒られるか泣かれるぞ!
「私はこういう者です」
「ほー……警視…庁……の、木手、さん……」
礼儀正しく名刺を渡されると、明朝体で印刷された文字に私は固まった。
「……まあ、少年課ではありませんが、通りすがりにたまたま見掛けたので」
「そーですか。そりゃあ、仕事熱心な事で。それではまた。アデュー」
「待ちなさい」
全速力で逃げようとしたら、更に上を行く速さで追いつかれ肩を掴まれた。
何今の!ものすごい速さで近寄られたよ!怖い!!
「……先程から様子がおかしいですが、どうかしたのですか」
「い、いいえ何も」
「…何か、後ろめたい事でも?」
「違います。えーと、これからちょっとバイトを探しに行こうかと思ってまして!」
なんとか誤魔化そうと適当に嘘をつくと、木手さんは何かを思いついたように顔を上げた。
「……補導する代わりに、貴方には少し働いてもらいます」
「は?」