ぽかんと間抜けな顔を晒していた私を見て、木手さんは不機嫌そうに眉間に皺を寄せながら呟いた。
「勤勉意欲が見られないのなら、せめて社会の為に働くべきだ」
「………はぁ」
「これから私の仕事を少し手伝ってもらいます。質問は?」
木手が右手で眼鏡の左側を上げつつ問うと、は僅かに思案してからこう言った。
「バイト代出ますか?」
「………貴方の中にはボランティアという言葉が無いんですか?」
「あるけどタンスの隅っこに長期間しまってあるからタンスにゴンの臭いがするよ」
「…分かりました。少しではありますが私のポケットマネーから出しますから」
「おーマジで?やったね。言ってみるもんだ」
「……他に質問は?」
「その金は取っ払いですか?」
「もっとまともな質問は無いのか!!」
「最近の女子高生とはここまで酷いものなのか…嘆かわしい……」
「……あのさ、あんたがそのインテリメガネで何を嘆こうが勝手だけどさ、金に飢えた女子高生なんて皆こうだよ。だから援交とかカツアゲとかが無くならないんじゃん」
「……………だからといって、それを正当化するのもどうかと思いますが」
「やかましい。で、お仕事ってなんすか。これから一発タイホでもしけこみますか」
「個人的な調査です。逮捕も無ければ公にもなりません」
また眼鏡をぐいっと上げつつ、木手さんはそう言った。そんなに眼鏡が気になるかこのインテリ。
そこでふと、何となくだが、私は違和感を感じた。
「……警察の人が個人的な調査?それだったらそれに見合った調査機関を使うべきでないの?」
「そうしたいのは山々ですが、その調査の対象相手が相手なだけにそうもいかないんですよ」
「調査機関を使うと不都合な相手……ってーと……」
私の中で嫌な単語が頭をよぎる。だってここは、
「お察しの通り同業者。つまり……」
「情報が横に流れる可能性のある個人経営の調査機関………いわゆる、探偵」
「そうです。間の抜けたような方だと思っていましたが、さすがは名門女子高の生徒だ。なかなかどうして、頭が切れますね」
木手さんの嫌味な口調も聞き流してしまう程に、私は混乱していた。
ここは榊探偵事務所の目と鼻の先。
忍足が財務処理を完璧にこなし、クリーンな経営を行うあの事務所に警察のお偉いさんが個人調査を行う必要なんて無い。
最近警察と関わりがあり、経済状況が謎。所長が謎。その全貌が謎だらけのオンボロ探偵事務所。
関わると何故か上からの圧力が掛かる。だから個人的に調べる必要がある探偵事務所。そんなの一つしか
そんな私の考えを肯定したのは、木手さんの言葉だった。
「ここから少し歩くと、個人経営の古びた探偵事務所があります。そこを調べるつもりです」
うああああやっぱりいいい!!!
まずい。経営管理も仕事内容も所長もドス黒いうちの探偵事務所に調べられて良いものなんてある筈がない!
私はなんとか笑顔を取り繕って木手さんの方を向く。
「えーと、そこの何を調べるの?」
「まずは人員構成。判明したら一つずつ身元の確認。あとは、どのような仕事を主に請け負っているのかを知りたいですね」
ああ分かる。分かるよ。
何か崩れちゃいけないものが木綿豆腐の如く崩れていくのが分かるよ。
作戦変更。知らぬ存ぜぬを貫き通すのがベストかと思ったが、ここは一芝居打つのが得策と見た。
「あ、もしかして……」
「何か思い当たる事でも?」
「それって、幸村探偵事務所の事?」
私がわざとらしくそう言うと、案の定木手さんはその言葉に反応した。
「…ご存知なんですか?」
「うん、幼馴染がそこで仕事してるんだ。良かったら、すぐにアポイント取れるように連絡しよっか?」
「……そうですね。貴方のお知り合いがいるのであれば、直接出向いた方が自然でしょう。お願いできますか?」
木手さんは眉間に皺を寄せ、眼鏡を押し上げ少し考えた所で小さく頷いた。
「了解、じゃあ電話する」
「ご協力感謝します。偶然とはいえ、どうやら私は良い協力者を得たようですね」
「幼馴染に変な疑い掛かるくらいなら幾らでも協力するよ。それより、バイト代はずんでね?」
さて、勝負はここからだ。
相手は人の嘘を見極めるプロみたいなもんだ。
私ですら全てを知らないあの事務所の内部事情なんて知られようものなら事務所の存続だって危うい。それがこの一勝負に掛かっているんだ。
私は携帯のアドレス帳から、『したっぱ』と書かれたアドレスに電話を掛けた。
電話の呼び出し音が鳴り、ガチャリと相手が出る音が聞こえた。
「もしもし、先輩?」
「赤也、久し振り」
「あー……久し振りっす。どうしたんすか?携帯に直接かけてくるなんて」
私は背中にひしひしと木手さんの視線を感じた。
私の会話は木手さんに丸聞こえだ。下手な事は言えない。
「うん、ちょっとね。今からそっちに行こうと思うんだけど」
「あれ?今まだ謹慎中じゃないんすか?」
「知人がちょっと探偵事務所を探してて、紹介しようと思ってるんだ。今、そっちには誰かいる?」
「え?えーと……朝から真田副所長と柳先輩が幸村所長のとこに行ってて、今は俺と仁王先輩だけっす。丸井先輩と柳生先輩は今日非番で」
赤也に連絡したのは正解だった。
頭が極端に低スペックだから情報処理を終わらせる前に矢継ぎ早で質問するとボロボロと望んだ答えが返ってくる。一応褒めてる、一応。
柳と真田が居ない事も幸運だった。
朝から居ないとなると、あの二人の一日はおユキの気まぐれに付き合わされて完全に潰れる。おそらく夜戸締りにのみどちらか一方が寄るだけだ。
こんな時は我が侭なおユキに感謝する。さすが私の愛した人。
「じゃあ、あと10分くらいで行くから赤也一人で事務所の前で待っててくれるかな」
「え、何でっすか?来るならこっそり事務所に上がってくればいいじゃないっすか」
「その人に赤也を紹介したいの!幸村探偵事務所期待の新人でしょ?待っててくれるよね?」
一つ年上の後輩は単純でした。
「事務所の前で待っててくれるって」
「わざわざ事務所の前で出迎えなどさせなくても、こちらから事務所の中まで向かえばよかったものを」
「ちょっと入るの緊張しない?独特の雰囲気があるじゃん探偵事務所って。だからいつも前で待っててもらうの」
通話を終えた携帯をポケットに入れるフリをして、私は今時の女子高生らしさを前面に発揮し、高速で新規メールを作成した。
宛先は『白髪』